非正規雇用と貧困:性別、年齢、地域…重なり合う困難の構造
非正規雇用が引き起こす貧困の構造を理解する
貧困問題の支援に取り組む中で、非正規雇用という働き方が、多くの方々の生活を不安定にしている状況を目の当たりにされているかもしれません。しかし、非正規雇用がもたらす困難は、単に「収入が低い」というだけにとどまらない、より複雑な構造を持っていることがしばしばあります。
非正規雇用は、低賃金、不安定な雇用期間、社会保険や福利厚生の不足といった課題を抱えやすく、それ自体が貧困のリスクを高める大きな要因です。しかし、この「非正規雇用による貧困」は、その人の持つ他の様々な属性と重なり合うことで、さらに深刻で多様な困難を生み出します。ここで重要になるのが、「インターセクショナリティ」という視点です。
インターセクショナリティとは何か
インターセクショナリティとは、性別、人種、階級、性的指向、年齢、障害、地域など、様々な属性が単独で存在するのではなく、複数交差することによって、単一の属性だけでは説明できない、より複雑で重層的な差別や困難が生じるという考え方です。
例えば、「女性であること」と「非正規雇用であること」が重なることで、男性の非正規雇用者や正規雇用の女性とは異なる、独自の困難に直面することがあります。さらにそこに「子育て中であること」「特定の地域に住んでいること」「シングルペアレントであること」といった属性が加わることで、その困難はさらに複雑さを増します。
非正規雇用と貧困の構造を理解する上で、このインターセクショナリティの視点は不可欠です。
非正規雇用と重なり合う困難の構造
非正規雇用という状況は、以下のような様々な属性と交差することで、貧困を深め、生活上の複合的な困難を生み出します。
- 性別: 日本では特に女性に非正規雇用が多く、育児や介護といったケア責任を負うことが多い女性の場合、正規雇用に就くことが難しく、非正規雇用を続けることで収入が安定せず、将来的な年金も少なくなる傾向があります。これは、性別役割分業の意識や労働市場の構造といった社会的な要因が非正規雇用という状況と重なり、女性の貧困を深める典型的な例です。
- 年齢: 若年層においては、正規雇用に就けずに非正規雇用が長期化することが、その後のキャリア形成や経済基盤の確立を困難にします(いわゆる「非正規滞留」)。高齢者においては、年金だけでは生活が厳しいため非正規の仕事を探すものの、体力的な限界や求人の少なさから不安定な雇用に留まらざるを得ず、健康問題と相まって困難が深刻化します。
- 地域: 都市部と比べて安定した雇用機会が少ない地方では、非正規雇用の割合が高い傾向にあります。地域における交通手段の不足や、特定の産業の衰退といった要因が、非正規雇用という状況と重なり、特に高齢者や一人暮らしの方などが、仕事を探す上でも生活する上でも複合的な困難に直面しやすくなります。
- 学歴・職歴: 過去の学歴や職歴が限定的である場合、希望する正規雇用に就くことが難しく、非正規雇用しか選択肢がない状況に陥りがちです。十分な教育機会や職業訓練を受けることができなかった背景には、親の経済状況や出身地域の環境といった階級に関わる要因が存在することもあり、非正規雇用という状況が、教育や階級といった属性と重なり、貧困からの脱却を一層困難にします。
- 健康問題・障害: 慢性的な健康問題を抱えている方や障害のある方は、体調に合わせて働ける非正規雇用を選択せざるを得ない場合があります。しかし、非正規雇用では十分な所得が得られず、医療費の負担が増えたり、体調を崩しやすく仕事を休みがちになったりすることで、経済的にさらに追い詰められることがあります。非正規雇用という状況が、健康や障害という属性と重なり、貧困と健康問題の悪循環を生み出します。
複合的な困難の具体例
インターセクショナリティの視点を持つことで、支援対象者が直面している困難が、単一の原因ではなく、複数の要因が複雑に絡み合って生じていることが見えてきます。
例えば、地方に住む50代の非正規雇用の女性を考えてみましょう。この女性が親の介護を担っている場合、仕事探しにかけられる時間や働ける時間に制約が生じます(性別、年齢、地域、ケア責任)。非正規雇用による低収入のため、十分な介護サービスを利用することも難しく、自身の健康も損なう可能性があります(非正規雇用、ケア責任、健康)。さらに、もしこの女性が若い頃に十分な教育を受けられなかったとすれば、正規雇用への転職は一層難しくなります(非正規雇用、学歴/階級)。
このように、非正規雇用という状況は、性別、年齢、地域、ケア責任、健康、学歴といった複数の属性と交差することで、単に収入が低いという問題を超え、将来への不安、社会的な孤立、健康の悪化など、多岐にわたる困難を複合的に引き起こすのです。
NPO活動におけるインターセクショナリティの重要性
非正規雇用が引き起こす貧困の複雑な構造をインターセクショナリティの視点から理解することは、貧困問題に取り組むNPOにとって非常に重要です。
この視点を持つことで、支援対象者が抱える問題の根源をより深く理解できるようになります。例えば、非正規雇用であることの背景に、性別役割の固定観念や地域的な雇用構造の問題があること、また健康上の課題が非正規雇用を選ばざるを得ない理由であることなどが明らかになります。
これにより、単に仕事を紹介するだけでなく、介護サービスの利用支援、健康相談、地域での居場所づくり、エンパワメントのための講座実施など、支援対象者の複数のニーズに合わせた包括的なアプローチが可能になります。また、個別の支援を通じて見えてきた構造的な課題(例:特定の地域での非正規雇用の多さ、性別による賃金格差など)について、社会への提言活動を行う上でも、この視点は強力な根拠となります。
他者に伝えるためのヒント
非正規雇用と貧困が他の属性と重なって生じる複雑な困難について、他者に説明する際には、具体的な事例を用いることが非常に有効です。架空のケーススタディや、現場で耳にした具体的なエピソード(プライバシーに配慮しつつ)を語ることで、抽象的な概念が身近な問題として捉えられやすくなります。
また、図やイラストを使って、非正規雇用という中心的な問題を取り囲むように、性別、年齢、地域、健康など様々な要素が線で結ばれている様子を示すなど、視覚的に構造を説明することも理解を助けます。
そして何よりも、「なぜこの人は非正規雇用なのか」「非正規雇用であることで、他にどんなことが起きているのか」といった問いを常に持ち、その背景にある複数の要因に目を向けることの重要性を伝えることが大切です。それは、個人の努力不足ではなく、社会構造や複数の属性が交差することによって生まれる困難であるという理解を広げることにつながります。
まとめ
非正規雇用は現代日本の貧困構造において中心的な課題の一つですが、その影響は性別、年齢、地域、健康状態といった様々な属性と交差することで、さらに複雑で深刻なものとなります。インターセクショナリティの視点は、非正規雇用が引き起こす貧困の多面的な現実を明らかにし、単一の解決策では対応できない複合的な困難に対する理解を深めるための強力なツールです。
この視点を持ち、支援活動や社会的な働きかけを行うことは、より包括的で効果的な貧困対策を進めるために不可欠です。支援を必要とする人々が直面する真の困難を見抜き、その複雑な構造に寄り添うためにも、私たちはインターセクショナリティの視点を常に意識していく必要があります。