メンタルヘルスと貧困:重なり合う困難の構造を読み解く
はじめに
貧困問題の支援に取り組む中で、支援を必要とする方々が抱える困難が、単一の原因ではなく、さまざまな要因が複雑に絡み合って生じていると感じることは多いでしょう。経済的な困窮という側面だけでなく、性別、年齢、健康状態、家族構成、そしてメンタルヘルスの状態など、多様な要素が影響し合っています。
特に、精神的な不調は、貧困状態にある人々にとって非常に深刻な問題でありながら、しばしば見過ごされたり、その相互関連性が十分に理解されなかったりすることがあります。ここでは、「インターセクショナリティ」という視点を用いて、メンタルヘルスの問題と貧困がどのように重なり合い、個人の困難をより複雑で深刻なものにしているのかを読み解いていきます。
インターセクショナリティとは
インターセクショナリティ(Intersectionality)とは、人種、性別、階級、性的指向、障害などの様々な社会的属性が、それぞれ独立して存在するだけでなく、相互に交差し、影響し合うことで、特定の個人や集団が経験する差別や抑圧の構造を複雑にしているという考え方です。
この視点に立つと、例えば「貧困」という問題一つを取っても、それが「女性であること」と交差することで、男性とは異なる形での困難が生じたり、「特定の民族的背景を持つこと」と交差することで、また別の困難が生じたりすることが理解できます。
メンタルヘルスの問題も同様です。精神的な不調そのものに加え、それが貧困状態と交差すること、さらに他の属性(例えば、シングルマザーであること、非正規雇用であること、特定の疾患を抱えていることなど)と交差することで、個人が直面する困難は一層複雑化し、孤立や排除のリスクが高まります。
メンタルヘルスと貧困の重なり合いが引き起こす困難
メンタルヘルスの問題と貧困は、まさに相互に悪影響を与え合う関係にあります。
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精神的不調が貧困を招く・悪化させる
- うつ病、不安障害、統合失調症などの精神疾患は、集中力の低下、意欲の喪失、対人関係の困難などを引き起こし、就労を続けることを難しくします。結果として、失業や収入の減少につながります。
- 症状の悪化により、医療機関への通院や服薬が必要になりますが、これらの費用が経済的な負担となり、さらに家計を圧迫します。
- 精神的な不調が原因で、社会とのつながりを維持することが難しくなり、孤立が深まることで、問題解決のための情報や支援にアクセスしにくくなります。
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貧困が精神的不調を招く・悪化させる
- 経済的な不安定さ、借金、住居の不安、食料の不足などは、慢性的なストレス源となります。こうした強いストレスは、うつ病や不安障害などの精神的な不調を引き起こしたり、既存の症状を悪化させたりします。
- 十分な栄養が摂れない、安全で安心できる住環境がない、適切な休息が取れないといった貧困に伴う生活環境の悪化は、心身の健康を損ないます。
- 経済的な理由から医療機関を受診できない、あるいは服薬を中断せざるを得ない状況も、精神状態の悪化に直結します。
この二つの側面が絡み合い、悪循環を生み出します。精神的に不安定になり、働くことが難しくなり収入が減る。収入が減ることで生活が困窮し、それがさらなる精神的なストレスとなり、症状が悪化する。
具体的な事例とその背景にあるインターセクショナリティ
具体的な事例を通して、この構造をより深く理解してみましょう。
事例:Aさんの場合
Aさんは40代のシングルマザーです。パートタイムの非正規雇用で働いていましたが、職場での人間関係のストレスと将来への不安から、うつ病を発症しました。意欲が低下し、朝起き上がることが困難になり、仕事を休みがちになりました。
- 貧困: 非正規雇用で低賃金だったため、仕事を休むとすぐに収入が激減しました。
- メンタルヘルス: うつ病により就労が困難になり、経済的な問題がさらにストレスを増大させました。
- 性別・家族形態: シングルマザーであるため、自分が働けなくなると子どもの生活も立ち行かなくなります。頼れる親族は遠方にいるか、自分たちも経済的に余裕がありません。ケア責任が重くのしかかります。
- 雇用形態: 非正規雇用であったため、病気になっても十分な保障がなく、解雇のリスクも高まります。
- 地域: 地方都市に住んでおり、専門的なメンタルヘルス医療へのアクセスが限られています。相談機関の情報も得にくい状況でした。
この事例では、Aさんが「精神的な不調」を抱えているという問題に加え、「女性」「シングルマザー」「非正規雇用」「地方在住」といった複数の属性が交差することで、その困難さが格段に増しています。単に「うつ病の人」や「貧困状態の人」として捉えるだけでは、Aさんが直面する複合的な問題を十分に理解し、適切な支援を提供することは難しいのです。経済的な支援だけではメンタルヘルスの問題は解決せず、メンタルヘルスケアだけでは経済的な不安は解消されません。さらに、シングルマザーであることによる時間の制約や孤立、非正規雇用による雇用の不安定さ、地方という環境による情報・資源の不足といった、他の要素も同時に考慮する必要があります。
NPO活動への示唆と他者への説明のヒント
このようなメンタルヘルスと貧困が重なり合う複合的な困難に対し、インターセクショナリティの視点は、NPOの現場において非常に重要です。
- 多角的なアセスメント: 支援対象者の抱える困難を評価する際に、経済状況や目に見える問題だけでなく、メンタルヘルスの状態、過去の経験、家族関係、社会的なつながり、居住環境、雇用形態、ジェンダー、年齢、地域などの多様な側面から丁寧に聞き取り、複合的な要因を見出すことが重要です。
- 連携の強化: 精神保健サービス、医療機関、行政の福祉窓口、ハローワーク、他のNPOなど、様々な機関との連携が不可欠です。一つの機関だけでは対応できない複合的なニーズに応えるためには、分野を超えた協力体制を構築する必要があります。
- スティグマへの配慮: メンタルヘルスの問題に対する社会的な偏見(スティグマ)は根強く存在します。支援を求めることへのためらいや、自身の状況を話すことへの抵抗があることを理解し、安心できる環境で、プライバシーに配慮しながら丁寧に対応することが求められます。貧困状態にあること自体に対するスティグマもまた、支援へのアクセスを妨げる要因となります。
- 包括的な支援設計: 経済的な支援(住居確保、生活費、就労支援など)と同時に、メンタルヘルスケア(医療機関への受診支援、カウンセリング、ピアサポートなど)、そして社会的な孤立を防ぐための居場所づくりやコミュニティとのつながり支援などを組み合わせた、包括的な支援計画が必要です。
他者にこの構造を説明する際は、抽象的な議論だけでなく、具体的な事例を交えることが有効です。例えば、上記Aさんのような事例を提示し、「この方の困難は、うつ病だけ、貧困だけでは説明できません。働く上での性別による役割期待、子育てと仕事の両立の難しさ、非正規という不安定な立場、そして地方ゆえの支援資源の限界など、様々な要因が複雑に絡み合っているのです」というように説明すると、受け手は自身の知っている状況や経験と結びつけて理解しやすくなります。重要なのは、個人の「弱さ」や「問題」として片付けるのではなく、社会構造や複数の属性がどのように困難を生み出しているのかという「構造」に焦点を当てることです。
まとめ
メンタルヘルスの問題と貧困は、多くの場合、独立した問題ではなく、相互に影響し合いながら、個人の人生をより困難なものにしています。インターセクショナリティの視点は、この複雑な絡み合い、すなわち複合的困難の構造を理解するための強力なツールです。この視点を持つことで、私たちは支援対象者が直面する課題をより正確に捉え、より効果的で、一人ひとりの状況に寄り添った支援を設計することができるようになります。
貧困問題に取り組むNPOの現場において、この視点は、支援の質を高め、取りこぼされがちな困難を抱えた人々を見出し、真に寄り添うための羅針盤となるでしょう。この概念を理解し、実践に活かし、そして他者にも伝えていくことで、より包括的で公正な社会の実現に貢献できると信じています。