LGBTQ+と貧困:インターセクショナリティで読み解く複合的困難
はじめに
貧困問題の支援に携わる中で、「なぜかこの人は、他の人よりも複雑な困難を抱えているようだ」と感じたことはありませんか。一つの要因だけでは説明しきれない、複数の問題が絡み合って、対象者をより厳しい状況に追い込んでいる。そうした現場での実感は、実は「インターセクショナリティ」という概念で説明できる構造を示しているのかもしれません。
この概念は、性別、人種、階級といった様々な属性が単独で作用するのではなく、互いに交差・重なり合うことで、固有の差別や不利益が生じるという考え方です。本記事では、特に見落とされがちな「性的指向」や「性自認」(いわゆるLGBTQ+)に関わる困難が、どのように経済的な貧困と交差するのかを、インターセクショナリティの視点から解説します。
インターセクショナリティとは何か
インターセクショナリティは、弁護士であり研究者であるキンバリー・クレンショー氏によって提唱された概念です。もともとは、アメリカの黒人女性が人種差別と性差別の両方に直面しており、その経験が黒人男性や白人女性とは異なる、独自の困難であることを説明するために用いられました。
この考え方によれば、私たちの社会における差別や不利益は、単に「男性か女性か」「肌の色は何か」「経済的な状況はどうか」といった一つの軸だけで生じるものではありません。これらの属性が複数組み合わさることで、全く新しい、あるいはより深刻な困難が発生しうるのです。たとえば、白人女性が経験する性差別と、アジア系のトランスジェンダー女性が経験する差別は、性質や深刻さが異なる可能性があります。後者の場合、「性別」「人種(民族性)」「性自認」という複数の属性が交差する地点で、独自の障壁に直面することが考えられます。
重要なのは、これらの属性が単に「足し算」されるのではなく、「掛け算」のように影響し合い、困難を増幅させたり、見えにくくしたりする点です。
LGBTQ+当事者が直面しやすい困難と貧困の交差
性的指向や性自認が多数派と異なる人々(LGBTQ+当事者)は、社会の様々な場面で困難に直面することが少なくありません。これらの困難は、しばしば経済的な貧困と重なり合い、その状況を複雑化させます。
具体的に、どのような形で困難が交差するのでしょうか。
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就労機会の限定と不安定な雇用:
- 採用過程での偏見や差別。履歴書の性別欄や面接での質問、カミングアウトの必要性などが障壁となる場合があります。
- 職場でのハラスメントやいじめにより、離職を余儀なくされるケース。
- 結果として、非正規雇用や低賃金の仕事に就かざるを得なくなり、収入が不安定化します。これは、性別や年齢、国籍といった他の属性との組み合わせによって、さらに困難が増す可能性があります(例:高齢のトランスジェンダー女性、外国籍のゲイ男性など)。
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家族からのサポート喪失:
- カミングアウトをきっかけに家族との関係が悪化し、経済的・精神的な支援を失うことがあります。これは、特に若年層や学生にとって深刻な影響を与え、学業の断念や一人暮らしの困難につながり、長期的な貧困リスクを高めます。
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住居確保の困難:
- 不動産取引において、性的指向や性自認による偏見から入居を拒否されるケース。
- 性別適合手術やホルモン治療などを行っている場合、住民票上の性別と外見が異なることによる誤解や偏見。
- ルームシェアやグループホームなど、共同生活の場を見つけにくい。
- 安全な住まいを確保できないことは、心身の健康にも影響し、就労や社会参加をさらに困難にします。
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健康問題と医療アクセス:
- 精神的なストレスや差別による影響で、精神疾患などの健康問題を抱えやすい傾向。
- トランスジェンダーの場合、性別移行に関する医療費が保険適用外となる場合が多い。
- 医療機関での理解不足や偏見による受診の躊躇。
- これらの健康問題と高額な医療費が、経済状況をさらに悪化させる要因となります。
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制度的・法的な課題:
- 同性婚が法的に認められていない国や地域では、パートナーとの財産分与や相続、社会保障制度における家族としての権利などが保障されない場合があります。これは、経済的なセーフティネットの脆弱性につながります。
- 行政手続きにおける性別表記の問題など、制度上の不備が困難を生むこともあります。
これらの要因は単独で存在するのではなく、「就労困難」と「家族からのサポート喪失」が重なり、「住居確保も困難」になり、「健康も損なわれる」といった形で、複雑に絡み合い、貧困状態を固定化・深化させていくのです。
インターセクショナリティの視点を支援に活かす
このようなLGBTQ+当事者の貧困という複合的な困難を理解するためには、インターセクショナリティの視点が不可欠です。単に「貧困である」と捉えるのではなく、「性的指向や性自認に関わる社会的な障壁が、他の様々な困難と重なり合った結果として貧困が生じている」と理解することで、より適切な支援のあり方が見えてきます。
NPOなどの支援現場でこの視点を活かすためには、以下のような点が重要になります。
- 多角的なアセスメント: 支援対象者の経済状況だけでなく、性別、年齢、出身、健康状態、障害の有無、そして性的指向や性自認、家族関係、社会とのつながりなど、複数の側面から丁寧に状況を把握する。
- 単一原因説の回避: 困難の原因を一つの要因に特定せず、「複数の要因が重なり合っている可能性」を常に意識する。
- 複合的な支援計画: 就労支援だけでなく、住居確保、心身のケア、法的なサポート、コミュニティへの接続支援など、複数の要素を組み合わせた支援計画を立てる。
- 他機関との連携: 自団体だけでは対応できない領域(例:専門的な医療、法律相談、LGBTQ+コミュニティ支援など)については、専門機関や他の支援団体とのネットワークを活用し、対象者が必要なリソースにアクセスできるよう橋渡しをする。
- 職員の研修: 性的指向・性自認に関する基本的な知識や、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)について学び、多様な背景を持つ対象者に対して適切な態度で接することができるようにする。
他者に伝えるためのヒント
インターセクショナリティという概念や、それが具体的な困難にどう繋がるのかを他者(同僚、ボランティア、一般市民など)に説明する際には、以下の点を意識すると伝わりやすくなります。
- 具体的な事例から入る: 抽象的な概念説明よりも、具体的な個人の困難(例:先述の架空の事例など)を紹介し、「なぜこの人がこんなに大変なのか、背景には何があるのか」という問いかけから始める。
- 「足し算」ではなく「掛け算」のイメージ: 複数の問題が単に積み重なるのではなく、互いに影響し合って困難が何倍にも増幅されるイメージ(「人種差別+性差別=〇〇」ではなく、「人種差別×性差別=独自の困難」)を伝える。
- 「自分ごと」として考えてもらう: 特定のマイノリティだけの問題ではなく、誰もが複数の属性を持っており、その組み合わせによって社会からの見え方や経験する困難が異なりうることを伝える。
- 「見えない困難」に光を当てる意義を強調: この視点を持つことで、これまで見過ごされてきた困難に気づき、より効果的で包摂的な支援が可能になることを伝える。
まとめ
性的指向や性自認に関する差別や社会的な障壁は、就労、住居、家族関係、健康といった様々な側面で困難を生み出し、これが経済的な貧困と複雑に交差することで、当事者をより厳しい状況に追いやります。インターセクショナリティという視点を持つことは、このような複合的な困難の構造を理解し、見えにくい課題に光を当てるために不可欠です。
貧困問題に取り組む私たちは、支援対象者が抱える困難が単一の原因によるものではなく、複数の属性や社会構造が複雑に絡み合って生じている可能性を常に意識する必要があります。インターセクショナリティの視点を現場に取り入れることで、対象者のニーズをより深く理解し、真にその人に合った、包括的で効果的な支援へと繋げていくことができるでしょう。この視点は、より公正で包摂的な社会の実現に向けた、私たち一人ひとりの活動をより豊かなものにしてくれるはずです。