見えない社会参加の壁と貧困:インターセクショナリティで読み解く複合的困難
はじめに:見過ごされがちな「社会参加の壁」
貧困は単に経済的な問題だけでなく、社会との繋がりや参加の機会が失われることによっても深刻化します。日々の支援活動の中で、対象者の方が経済的な困難に加え、地域活動に参加できなかったり、行政からの情報にアクセスできなかったり、必要な手続きが進められなかったりといった「社会参加の壁」に直面していると感じることがあるかもしれません。
この「社会参加の壁」は、年齢、健康状態、居住地域、情報アクセス能力など、様々な要因が複雑に絡み合って生まれます。そして、これらの要因が複数重なることで、壁はさらに高く、乗り越えがたいものとなることがあります。本記事では、インターセクショナリティ(複数の差別や抑圧が交差する構造)の視点から、この「見えない社会参加の壁」がどのように貧困と結びつき、複合的な困難を生み出すのかを解説します。
インターセクショナリティとは何か
インターセクショナリティとは、人々の経験する差別や困難が、性別、人種、階級、性的指向、障害、年齢、健康状態といった複数の属性や状況が交差することによって生まれる、複雑で重層的な構造を理解するための視点です。
例えば、「女性だから」という困難と、「経済的に不安定だから」という困難はそれぞれ存在しますが、「経済的に不安定なシングルマザー」という立場では、この二つの要因が交差することで、単一の困難を抱える人とは異なる、より固有で深刻な困難に直面することがあります。インターセクショナリティは、このような属性の交差によって生じる見過ごされがちな不利益や構造的な問題を明らかにするために有効な概念です。
「社会参加の壁」を構成する要因
社会参加とは、地域コミュニティでの活動、趣味や学習を通じた交流、行政サービスや公的な制度へのアクセス、情報収集、あるいは友人や家族との関係維持など、社会との様々な関わりを指します。貧困状態にある人々にとって、これらの社会参加が困難になることで、孤立が深まり、問題解決に必要な情報や支援にアクセスできなくなり、結果として貧困がさらに固定化・深刻化する悪循環に陥ることがあります。
この「社会参加の壁」は、以下のような複数の要因が単独であるいは重なり合って形成されます。
- 経済的要因: 参加費用(会費、交通費など)、通信費、情報機器の購入・維持費用の負担。
- 地理的要因: 地域内の交通の便、行政サービス機関や図書館・公民館などの公共施設の有無や距離、コミュニティの希薄化。
- 健康・身体的要因: 体力的な制約、持病や障害による外出・長時間の活動の困難、医療機関へのアクセス問題。
- 情報アクセス・リテラシー要因: スマートフォンやインターネット利用のスキル不足、必要な情報が紙媒体やデジタルのみで提供されていることによる情報格差、複雑な情報や手続きの理解困難。
- 時間的要因: 不安定な雇用や低賃金による長時間労働、育児や介護といったケア責任による時間的な制約。
- 心理的要因: 過去の失敗経験やスティグマによる自己肯定感の低下、人付き合いへの不安、社会からの孤立感による引きこもり。
- 社会的要因: 地域社会や周囲からの偏見・スティグマ、年齢や属性による排除(エイジズム、差別など)、相談できる相手やネットワークの不足。
複数の要因が重なることで生まれる「見えない壁」
これらの要因が単独で存在する場合でも社会参加は困難になりますが、インターセクショナリティの視点で見ると、複数の要因が重なることで、困難はより複雑かつ深刻になることがわかります。そして、その「重なり」によって生じる壁は、往々にして外からは見えにくく、本人ですらその複雑さに気づきにくいことがあります。
例えば:
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地方に住む高齢女性、持病があり、スマートフォンを持っていないケース: 年齢(高齢)、居住地域(地方の交通不便)、健康問題(持病)、情報アクセス(デジタルデバイド)といった要因が重なります。地域コミュニティが希薄化している場合、これらの要因が組み合わさることで、近所付き合いも難しく、行政や地域からの情報(イベントや支援制度など)にもアクセスしにくくなります。物理的な外出が困難な上に、情報も届かず、人との繋がりも失われ、孤立が深まり、必要な支援制度を知ることすらできず、貧困から抜け出す機会が失われます。これは単に「高齢だから」「地方だから」といった一つの要因だけでは説明できない、複合的な困難です。
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都市部で非正規雇用、幼い子どもを育てるシングルマザー、過去に精神疾患の既往があるケース: 雇用形態(非正規雇用)、性別(女性)、家族形態(シングルマザー)、経済状況(不安定)、時間的制約(育児・仕事)、居住地域(都市部の高コスト)、健康(精神疾患の既往)といった要因が重なります。経済的な余裕がなく、育児と仕事に追われ、物理的・時間的に地域活動や学習の機会に参加できません。精神的な不安定さから人付き合いに不安を感じることもあり、孤立しやすくなります。さらに、過去の精神疾患歴に対するスティグマが、周囲との関係構築を妨げる可能性もあります。必要な行政サービスも、利用時間が限られていたり、オンライン化されていたりすると、アクセスが困難になることがあります。これらの重なりが、社会参加の壁を高くしています。
このように、複数の要因が交差することで、社会参加への障壁は予測不能な形で高まり、貧困からの脱却を阻む見えない壁となるのです。
インターセクショナリティの視点を持つことの重要性
「社会参加の壁」が複合的な要因の重なりによって生まれることを理解することは、貧困問題に取り組む上で極めて重要です。
- 困難の根源を深く理解できる: 単一の要因に囚われず、対象者が抱える複数の困難がどのように影響し合い、社会参加を妨げているのかを立体的に捉えることができます。
- 支援の抜け穴を防ぐ: 一見、経済的な問題に見えても、その背後にある「社会参加の壁」を見落とさず、情報アクセス支援、居場所づくり、 peer support(同じような経験を持つ人同士の支え合い)など、多角的なアプローチの必要性を認識できます。
- より効果的な支援設計: 属性の交差によって生まれる固有の困難を考慮することで、対象者のニーズに合わせた、より個別的で包括的な支援計画を立てることが可能になります。
- スティグマへの気づき: 社会参加を妨げる心理的な要因や社会的な排除に気づき、対象者のエンパワメントや、社会全体の意識改革にも目を向けることができるようになります。
- 他機関連携の重要性: 社会参加の壁は、医療、福祉、教育、情報通信など、様々な分野の課題と関連しています。インターセクショナリティの視点は、分野横断的な連携の必要性を明確にします。
他者に伝えるためのヒント
「社会参加の壁」と貧困の関連、そしてそこにインターセクショナリティがどう関わるのかを他者に説明する際は、具体的な事例を用いることが有効です。「~だから大変」という単一の原因だけでなく、「~という状況で、かつ~という状況でもあるために、このように困っている」というように、複数の要因が重なることによる困難の「質的な違い」や「深刻さの増大」を具体的に示すことで、理解を深めることができます。
インターセクショナリティという言葉自体を知らなくても、「いくつかの困難が一度に襲いかかってくる」「壁がいくつも重なっていて、一つを乗り越えても次がある」「Aという困難とBという困難が合わさると、A単独でもB単独でもない、全く新しいCという困難が生じる」といった表現で、概念の考え方を伝えることも有効です。
まとめ
貧困と密接に関わる「社会参加の壁」は、年齢、健康、地域、情報アクセス能力など、様々な要因が重なり合って生じる見過ごされがちな複合的困難です。インターセクショナリティの視点を持つことで、この見えない壁の構造を理解し、対象者がなぜ孤立し、必要な情報や支援にアクセスできないのか、その根本原因に迫ることができます。
この視点は、貧困問題支援において、単一の課題解決に留まらず、対象者一人ひとりが抱える複合的な困難に包括的に対応するための重要な手がかりとなります。見えない壁に気づき、その構造を理解することから、より効果的で人間的な支援が始まるのです。