情報理解力の困難と貧困:インターセクショナリティが示す見えない壁
はじめに
日々の支援活動の中で、「この方はなぜ、制度の申請ができないのだろう」「必要な情報にたどり着けない背景には何があるのだろう」と感じることはないでしょうか。貧困状態にある人々が直面する困難は、単に収入が低いという問題だけではなく、様々な要因が複雑に絡み合って生じています。その中でも、しばしば見過ごされがちなのが「情報理解力の困難」です。
現代社会は、行政手続き、雇用契約、健康に関する情報、金銭管理など、多くの場面で複雑な文字情報やシステムを理解することを要求します。これらの情報を正確に理解し、適切に対応する能力、すなわち情報理解力が十分でないことは、貧困を招き、あるいは既存の貧困状態をさらに深刻化させる「見えない壁」となり得ます。
この記事では、情報理解力の困難がどのように貧困と結びつき、さらに性別、年齢、教育歴、障害の有無といった他の属性と交差することで、複合的な困難を生み出すのかを、インターセクショナリティの視点から解説します。この視点を持つことが、支援の現場でどのように役立つかについても触れていきます。
インターセクショナリティとは
インターセクショナリティとは、人種、性別、階級、性的指向、障害といった複数の社会的属性が単に並列に存在するのではなく、互いに交差・複合することで、その人の経験する差別や抑圧、特権が独自の形をとるという考え方です。特定の属性だけを見るのではなく、複数の属性が重なり合うことで生まれる、固有の脆弱性や困難の構造を明らかにするための重要な視点です。
例えば、「女性であること」と「貧困」という二つの属性が重なることで、単に女性である場合や貧困である場合とは異なる、性別に基づく賃金格差や非正規雇用の問題に直面しやすくなるなど、独自の困難が生じます。情報理解力の困難もまた、他の属性と交差することで、その影響力が大きく変化します。
情報理解力の困難が貧困を深める仕組み
情報理解力は、文字を読めること(識字能力)だけにとどまりません。行政からのお知らせ、契約書、利用規約、医療情報、求人情報など、日常生活で直面する様々な複雑な文章や数字、図などを正確に読み解き、その内容を理解し、適切な判断や行動につなげる総合的な能力を指します。
この情報理解力が不十分であることは、貧困状態にある人々にとって以下のような具体的な困難を生み出します。
- 社会保障制度へのアクセス困難: 自分が必要とする給付金や支援制度が存在することを知らない、あるいは申請書類や手続き方法を理解できないため、制度を利用できずに生活が困窮する。
- 行政手続きの壁: 複雑な書類作成やオンライン申請に対応できず、必要な手続き(住民票の異動、税の申告など)が行えない。
- 雇用と労働条件の不利: 求人情報を適切に読み解けず、自身のスキルや希望に合わない職を選んだり、労働契約の内容を理解できないまま不利な条件で働かされたりするリスクが高まる。
- 金銭管理の失敗: 銀行口座の利用方法、ローンの契約内容、公共料金の支払い方法などを理解できず、滞納や借金を抱えやすくなる。
- 健康問題の悪化: 病気に関する情報、受診方法、薬の説明などを理解できず、適切な医療に繋がれず健康状態が悪化し、就労困難に繋がる。
- 子どもの教育への影響: 学校からのお知らせや進路に関する情報を理解できず、子どもの学習支援や進学に適切なサポートが行えない場合がある。
これらの困難は、情報理解力が低いという単一の要因によってのみ生じるわけではありません。まさにここでインターセクショナリティの視点が重要になります。
インターセクショナリティから見た情報理解力の困難
情報理解力の困難は、他の属性と交差することで、その影響が大きく増幅されます。いくつかの例を見てみましょう。
- 高齢者 × 低学歴 × 一人暮らし: 高齢であることによる認知機能の変化、若い頃の教育機会の不足、そして身近に頼れる人がいない状況が重なると、年金制度の変更点や複雑な医療制度、詐欺に関する情報などを理解するのが極めて困難になります。これにより、必要な収入が得られず、医療サービスから遠ざかり、悪質な詐欺の被害に遭いやすくなるなど、複合的な脆弱性が生まれます。
- 外国籍住民 × 言語の壁 × 非正規雇用: 母語でない日本語での複雑な情報の理解に加え、文化的な違いや在留資格による制約、不安定な非正規雇用という状況が重なることで、労働条件に関する権利、社会保険、子どもの教育制度など、生きていく上で不可欠な情報にアクセスし、理解することが非常に困難になります。これにより、低賃金や劣悪な労働環境に置かれ続けたり、必要な医療や福祉に繋がれなかったりする状況が生じやすくなります。
- 特定の障害(学習障害・発達障害など) × 過去のトラウマ × 地域格差: 文字の読み書きや計算、抽象的な概念の理解に困難を抱える学習障害や発達障害がある場合、過去の困難な経験(例:学校での失敗体験、人間関係のトラブル)による自己肯定感の低さ、さらに地域に適切な支援機関や理解のある専門家がいない状況が重なると、行政の支援窓口に相談に行く、必要な手続きを行う、仕事を探すといった行動そのものが極めて困難になります。情報理解の困難が、心理的なハードルや環境的な障壁と交差し、社会からの孤立と貧困を深めます。
これらの例は、情報理解力の困難が単独で存在するのではなく、他の属性と複雑に絡み合い、その人の直面する課題をより深刻で、見えにくくしていることを示しています。
NPO活動への示唆と他者への説明のヒント
情報理解力の困難にインターセクショナリティの視点から向き合うことは、貧困問題に取り組むNPOにとって非常に重要です。
- 支援の視点の広がり: 支援対象者の抱える困難が、単に「無知だから」「努力が足りないから」といった自己責任論に還元できるものではなく、情報アクセスの困難、情報理解の困難、そしてそれが他の属性と交差することによって生じる構造的な問題であると理解できます。これにより、表面的な問題解決にとどまらない、根本的な支援策を検討できるようになります。
- 情報提供方法の工夫: 文字情報だけでなく、音声、イラスト、動画、ピクトグラム、点字など、多様な情報媒体を活用する。また、対面での丁寧な説明、同じ経験を持つピアサポーターによる支援、手続きへの同行など、情報理解の困難があることを前提とした伴走型支援の重要性を認識できます。
- 多機関連携の強化: 情報理解力の困難の背景には、教育、福祉、医療、司法など、様々な分野の課題が潜んでいます。この視点を持つことで、自団体だけでは解決できない問題に対して、積極的に他機関と連携し、専門的なサポートに繋げることの重要性を再認識できます。
また、この概念を他者に説明する際には、抽象論に終始せず、具体的な事例を交えることが有効です。「あなたがもし、病気で寝込んでしまい、かつスマートフォンの操作が苦手な高齢者だったら、オンラインでしか申請できない助成金の情報を得て、手続きを完了させるのはどれほど難しいでしょうか」といったように、聞き手が自身の状況に引き寄せて考えられるような問いかけや例えを用いると、理解を得やすくなります。情報理解の困難は、環境や状況の変化によって誰にでも起こりうる可能性があることを伝えるのも、共感を呼ぶポイントです。
まとめ
情報理解力の困難は、貧困の構造を読み解く上で見落とされがちな、しかし非常に重要な要素です。この困難は、年齢、教育歴、言語、障害など、他の様々な属性と交差することで、個人が直面する複合的な困難をより深刻なものにします。インターセクショナリティの視点から情報理解力の困難を捉え直すことは、貧困状態にある人々の複雑な現実をより深く理解し、真に必要な支援を届けるための道を開きます。
支援現場で感じる「見えない壁」の正体が、情報理解力の困難と他の困難との重なり合いにあると気づくことで、支援のアプローチを再考し、よりインクルーシブで効果的な活動へと繋げていくことができるでしょう。