移動の制約と貧困:地域、年齢、障害…重なり合う困難の構造を理解する
はじめに:見えにくい「移動」という困難
貧困問題の現場で活動されている皆様は、支援対象の方が抱える課題が、経済的な困窮だけでなく、様々な要因が複雑に絡み合っていることを日々実感されているのではないでしょうか。その中でも、しばしば見落とされがちでありながら、貧困を深化させ、脱却を困難にする重要な要因の一つに、「移動の制約」があります。
公共交通機関が不便な地域に住んでいる、高齢や障害により移動が困難、経済的な理由で自家用車を持てない、といった「移動の制約」は、単に物理的な不便さにとどまりません。仕事を探したり通勤したりすること、医療機関や福祉サービスを利用すること、教育機会を得ること、社会的なつながりを保つことなど、生活のあらゆる側面に影響を及ぼし、貧困状態を固定化・悪化させる要因となります。
この記事では、この「移動の制約」と貧困がどのように結びついているのか、そして、それが地域、年齢、障害、性別、収入といった様々な属性とどのように重なり合い、複合的な困難を生み出すのかを、インターセクショナリティの視点から解説します。
「移動の制約」とは何か?
「移動の制約」は、「交通弱者」や「モビリティ格差」といった言葉でも表現されることがあります。これは、地理的な条件、経済的な状況、身体的な状態、社会的な要因などによって、必要かつ適切な手段で移動することが困難な状態を指します。
具体的には、以下のような状況が考えられます。
- 地理的要因: 公共交通機関が廃止・縮小された地方や郊外、坂道が多く移動しにくい地域など、物理的に移動手段が限られている。
- 経済的要因: 公共交通運賃や自家用車の維持費(燃料費、保険料、税金など)が高すぎて負担できない。
- 身体的要因: 高齢による身体機能の低下、障害、病気などにより、一人での移動や特定の交通手段の利用が難しい。
- 社会的要因: 子育て中である、介護責任があるなど、同行者がいることで移動手段が限定される。公共交通機関の利用に関する情報が入手しにくい、使い方が分からない。
これらの要因は単独で存在するだけでなく、複数重なり合うことで、より深刻な移動の困難を生み出します。
移動の制約が貧困に結びつくメカニズム
移動の制約は、様々な経路を通じて貧困状態に影響を及ぼします。
- 就労機会の喪失・限定: 通勤可能な範囲で仕事が見つからない、早朝・深夜の勤務ができない(終電・終バスがない)、面接に行くこと自体が困難など、就職活動や継続的な就労を妨げます。結果として、収入が不安定になったり、低賃金の仕事しか選べなくなったりします。
- 医療・福祉サービスへのアクセス阻害: 病院や診療所、役場、福祉施設への通院・通所が難しくなり、必要な医療や支援を受けられなくなります。病気や障害が悪化したり、適切な支援を得られずに孤立したりすることで、さらなる困難に陥るリスクが高まります。
- 教育機会の制約: 学校や塾、図書館へのアクセスが困難になり、学習機会が限定されます。特に地方では高校への通学が大きな負担となる場合もあり、進学を諦めざるを得ないケースも発生し得ます。これは、貧困の世代間連鎖につながる要因となります。
- 社会からの孤立: 地域活動や友人・知人との交流の場への参加が難しくなり、社会的に孤立しやすくなります。孤立はメンタルヘルスの悪化を招き、いざという時の頼れるネットワークを失うことにもつながります。
- 生活コストの増加: 食料品や日用品を安価に購入できる大型店舗やスーパーへのアクセスが悪く、近所の割高な商店で買うしかない。公共交通機関の利用が不便なため、タクシーやデマンド交通などの割高な移動手段に頼らざるを得ないなど、生活コストが増加する場合があります。
インターセクショナリティ:移動の制約と重なる複数の困難
移動の制約による困難は、特定の属性を持つ人々に特に顕著に現れやすく、これらの属性が重なり合うことで、より深刻な複合的困難が生じます。これがインターセクショナリティの視点です。
- 高齢者 × 地域: 地方や郊外で公共交通機関が少ない地域に住む高齢者は、身体機能の低下も相まって、自家用車を手放すと「買い物難民」「通院難民」となり、生活の維持自体が困難になります。
- 障害者 × 都市部: 都市部であっても、駅やバス停のバリアフリー化が不十分であったり、移動支援サービスが不足していたりする場合、障害を持つ方の移動は大きく制限されます。これが就労や社会参加の機会を奪います。
- ひとり親家庭(多くは女性) × 地域: 地方や郊外に住むひとり親(特に母親)は、子どもを連れての移動が物理的に大変な上、収入が限られているため自家用車を維持することも難しい場合があります。子どもの送り迎えや自身の仕事、病気時の通院など、様々な移動ニーズを満たすことが極めて困難になります。
- 非正規雇用者 × 低収入 × 地域: 不安定な雇用形態で低収入であるため、自家用車を持つ経済的な余裕がなく、公共交通機関に頼るしかありません。しかし、公共交通機関が不便な地域に住んでいる場合、通勤可能な仕事が見つからず、さらに収入が低下するという悪循環に陥ります。
- 外国籍住民 × 言葉の壁 × 地域: 公共交通機関の利用方法や路線の情報が日本語でしか提供されていなかったり、行政の移動支援サービスの情報にアクセスできなかったりする場合、言葉の壁が移動の困難さを増幅させます。特に地方に住む場合、この困難はより顕著になります。
このように、移動の制約は単独の問題ではなく、個人の属性や置かれた環境と複雑に交差することで、貧困を多層的に深刻化させる要因となるのです。
NPO活動における示唆と他者への説明
貧困問題に取り組むNPO職員として、この「移動の制約」という視点を持つことは、支援の質を高める上で非常に重要です。
- 包括的なアセスメント: 支援対象者の状況を把握する際、単に収入や住居だけでなく、「どのように移動して生活しているか」「移動に関して困っていることはないか」といった視点を含めることで、潜在的な課題を見つけやすくなります。
- 支援の多様化: 食料支援や金銭的支援だけでなく、地域のデマンド交通や移動支援サービスの情報を積極的に提供する、NPO独自の送迎支援を検討するなど、移動に関する直接的・間接的な支援も視野に入れることが重要です。
- アドボカシー: 移動の制約が貧困を招くメカニズムや、特定の属性を持つ人々が直面する複合的な困難について、行政や地域社会に働きかけ、公共交通の改善や移動支援サービスの拡充を求める活動も必要です。
この概念を他者に説明する際は、抽象的な理論だけでなく、具体的な事例を用いることが最も効果的です。「〇〇さんのように、地方で一人暮らしの高齢者が、近くにスーパーがなくて食料品を買いに行くのも大変で…」「△△さんの場合は、持病があって定期的な通院が必要なのに、バスの本数が少なくて、通院日のたびにパートを休まざるを得なくて収入が減ってしまって…」といった具体的なエピソードは、聞く人に移動の制約が貧困に深く関わっていることを実感させやすいでしょう。
まとめ
移動の制約は、私たちの社会において見過ごされがちな貧困の要因です。それは地域、年齢、障害、性別、経済状況など、様々な要素と重なり合うことで、人々の生活を多方面から圧迫し、貧困からの脱却を困難にします。
インターセクショナリティの視点を持ってこの問題に向き合うことは、貧困の複雑な構造を深く理解し、真に包括的で効果的な支援を設計するために不可欠です。支援の現場で働く私たちは、移動の困難を抱える人々の声に耳を傾け、その見えにくい壁を取り除くための努力を続ける必要があります。
この記事が、皆様の活動の視点を広げ、より多くの人々を支援するための示唆となれば幸いです。