前科・逮捕歴と貧困:インターセクショナリティが明らかにする複合的困難
見過ごされがちな困難:前科・逮捕歴がもたらす貧困の固定化
貧困問題の支援に取り組む中で、支援対象者が抱える困難が、単一の原因ではなく複数の要因が複雑に絡み合って生じていることを日々感じておられることと思います。性別、年齢、健康状態、家族構成など、様々な属性が貧困の状況に影響を与えています。
その中でも、一見個人の過去の問題と捉えられがちでありながら、貧困を深刻化・固定化させる重要な要因の一つに、「前科」や「逮捕歴」といった刑事司法との接触経験があります。これは、社会からの排除や機会の剥奪をもたらし、他の属性と交差することで、さらに複雑で根深い困難を生み出します。
本稿では、この「前科・逮捕歴と貧困」というテーマに、インターセクショナリティの視点からアプローチし、その複合的な困難の構造を理解することの重要性について解説します。
インターセクショナリティとは何か?
インターセクショナリティとは、性別、人種、階級、障害、性的指向など、様々な社会的な属性が単独で存在するのではなく、互いに交差・影響し合いながら、個人の経験する差別や抑圧、特権のあり方を形成するという考え方です。一つの属性だけを見るのではなく、複数の属性が交わる「交差点(intersection)」に注目することで、より複雑で見えにくい困難の構造を捉えることができます。
この視点は、貧困問題を考える上でも非常に有効です。例えば、「女性であること」と「貧困」は関連が深い問題ですが、「一人親であること」「非正規雇用であること」「高齢であること」といった他の要素が加わることで、貧困の性質や深刻さは大きく異なります。
前科・逮捕歴が貧困に与える直接的な影響
前科や逮捕歴があることは、社会生活を送る上で様々な困難を伴います。特に貧困との関連で顕著な影響は以下の通りです。
- 就労の困難: 多くの企業が採用時に犯罪歴の有無を確認する傾向にあり、前科・逮捕歴があるだけで応募資格が制限されたり、選考で不利になったりすることが少なくありません。これは、本人の意欲や能力に関わらず、安定した職を得る機会を奪い、非正規雇用や不安定な短期労働に甘んじることを余儀なくさせます。
- 住居確保の困難: 賃貸物件の契約においても、保証会社の審査などで前科・逮捕歴が問題視されることがあります。これにより、適切な住居を借りることが難しくなり、不安定な居住環境や劣悪な住居に留まらざるを得ない状況が生じます。
- 社会的な信用の低下と孤立: 前科・逮捕歴があるという事実自体が、家族や友人、地域社会からの偏見や排除につながり、社会的な孤立を深める原因となります。これは心理的な負担となるだけでなく、緊急時に頼れるセーフティネットを失うことにもつながります。
- 資格・免許の制限: 職業によっては、特定の資格や免許が取得できなかったり、剥奪されたりすることがあります。これは、それまで培ってきたスキルや経験を活かせなくなることを意味し、キャリア形成や収入の道を閉ざします。
これらの直接的な影響は、個人の経済状況を悪化させ、貧困状態からの脱却を極めて困難にします。
前科・逮捕歴が他の属性と交差する複合的困難
前科・逮捕歴がもたらす困難は、個人の持つ他の属性と交差することで、より複雑で深刻な問題となります。インターセクショナリティの視点から、具体的な事例を考えてみましょう。
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事例1:精神疾患を抱える高齢女性と前科 精神疾患が原因で万引きなどの軽微な犯罪を犯し、逮捕歴がある高齢の女性を想定します。この方は、「精神疾患」「高齢」「女性」「前科」といった複数の属性が交差する位置にいます。精神疾患により安定した就労が難しく、高齢による年金収入だけでは生活が困窮しがちです。さらに、逮捕歴があることで公的な支援(例:特定の福祉サービス)の利用が制限されたり、地域から孤立しやすくなったりします。女性であることから、高齢単身女性が直面しやすい社会的孤立や貧困の問題も重なります。これらの要因が複合的に作用し、医療や福祉へのアクセス、住居の安定、社会的なつながりの維持といった面で極めて深刻な困難に直面する可能性があります。
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事例2:若年期の非行歴を持つ男性と就労 若い頃に軽微な非行歴があり、現在は真面目に働こうとしている30代の男性を想定します。「若年期の経験」「男性」「前科」という要素が交差します。男性は正規雇用を目指しても、前科が原因で採用面接で不利になりがちです。非正規雇用を転々とする中で安定した収入が得られず、結婚や家庭を持つことも困難になるかもしれません。地域社会や友人関係においても、過去の出来事が影響し、十分な社会的サポートを得られない場合があります。若年期の過ちが、その後の人生における様々な機会を奪い続け、貧困状態を固定化させる要因となります。
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事例3:薬物依存症経験者と前科、そして家族 過去に薬物依存症で逮捕・服役経験のある方を想定します。「薬物依存症」「前科・服役歴」という要素が中心ですが、これに「性別」「年齢」「家族構成」などが加わります。依存症からの回復には継続的な支援が必要ですが、前科があることで自助グループ以外の公的な支援にアクセスしづらい場合があります。就労や住居確保の困難は言うまでもありません。さらに、本人の前科・服役歴が家族に偏見や精神的負担をもたらし、家族関係が悪化したり、家族全体が貧困状態に陥ったりすることもあります。依存症、犯罪、貧困が連鎖する複雑な構造が見えてきます。
これらの事例が示すように、前科・逮捕歴という要素は、他の属性と組み合わさることで、個人の抱える困難を一層複雑にし、見えにくく、支援を届けにくくします。
インターセクショナリティの視点が支援現場にもたらすもの
インターセクショナリティの視点を持つことは、貧困問題支援において非常に重要です。
- 課題の多角的な理解: 支援対象者が直面している困難が、単に「職がない」「収入が低い」といった経済的な問題だけでなく、過去の経験、健康状態、家族構成、社会的な属性などが複雑に絡み合っていることを理解できます。これにより、一面的ではない、その人固有の複合的な課題が見えてきます。
- スティグマ(負の烙印)の理解と対応: 前科・逮捕歴に対する社会的なスティグマが、本人だけでなく家族にも影響を与え、支援へのアクセスを妨げていることを理解できます。スティグマに対する意識的な配慮と、本人や家族の尊厳を守る支援が不可欠であることが分かります。
- 包括的・連携的な支援の設計: 一つの問題(例:就労支援)だけでなく、住居、医療・福祉、メンタルヘルス、社会的なつながりの回復など、多岐にわたる支援を統合的に考える必要性を認識できます。異なる分野の専門機関との連携の重要性も高まります。
- 構造的な問題への意識: 個人の「前科」という過去の出来事だけでなく、前科を持つ人に対する社会のシステム(雇用、住居、福祉)における排除の構造に目を向けることができます。これは、個人の支援だけでなく、社会システムの改善に向けた提言やアドボカシー活動にもつながります。
この視点を他者に伝えるヒント
あなたがNPOの活動の中で、このインターセクショナリティ、特に前科・逮捕歴と貧困の交差によって生じる困難について他者に伝える際には、以下の点を意識してみてはいかがでしょうか。
- 具体的な「事例」を用いる: 抽象的な議論よりも、具体的な事例(個人が特定されないよう配慮したもの)を語ることで、聞き手は困難の複雑さを肌で感じやすくなります。上記の事例のような、「精神疾患」「高齢」「女性」「前科」といった複数の属性がどのように重なるのかを示すと理解が進みます。
- 「本人の責任」論に陥らない: 前科・逮捕歴は確かに本人の行為の結果ですが、その背景には、本人の生育環境、社会的な排除、精神的な課題、依存症といった様々な要因が存在する可能性があります。また、一度の過ちがその後の人生の全てを閉ざしてしまう社会の構造自体に問題提起することも重要です。「なぜそうなったのか」「その後の立ち直りを社会はどうサポートできるのか」という視点を示すことが大切です。
- 構造的な問題を分かりやすく説明する: 採用における差別、住居確保の壁など、社会の仕組みがどのように彼らを排除しているのかを具体的に説明します。「前科があるから就職できない」という個別のケースの背後にある「企業や社会の側にある壁」を明確に示します。
- 「回復と再統合」の可能性を強調する: 困難だけでなく、適切な支援があれば立ち直り、社会に貢献できる可能性があることを示します。希望を示すことは、聞き手の共感を呼び、支援への理解を深める上で重要です。
まとめ
前科や逮捕歴は、単なる過去の出来事ではなく、個人のその後の人生、特に経済的な状況に深刻な影響を与え続ける要因です。そしてこの影響は、性別、年齢、健康状態、精神的な課題など、その人が持つ他の様々な属性と交差することで、さらに複雑で根深い貧困という形で現れます。
インターセクショナリティの視点を持つことで、私たちは、支援対象者が抱える困難が、一見「本人の責任」や「単なる貧困」に見えても、その背後に潜む複合的で構造的な問題を見抜くことができるようになります。これは、表面的な支援に留まらず、その人の抱える真の困難に寄り添い、より包括的で効果的なサポートを提供するための礎となります。
貧困問題支援の現場において、この視点を取り入れ、見過ごされがちな困難にも光を当てることで、一人ひとりの尊厳が守られ、社会への再統合が可能な道を共に探ることができるはずです。