慢性疾患・難病がもたらす複合的困難と貧困:インターセクショナリティで読み解く構造
慢性疾患や難病がもたらす、見過ごされがちな「重なる困難」
貧困問題に取り組むNPO活動の中で、支援対象者が抱える困難が、単一の原因ではなく、まるで複数の糸が複雑に絡み合ったような構造になっていると感じることはありませんでしょうか。例えば、病気を抱えている方が、医療費の負担だけでなく、働くことが難しくなったり、家族のケアが必要になったり、地域社会から孤立したりと、様々な問題に同時に直面している様子を見聞きするかもしれません。
本記事では、このような「重なる困難」の構造を理解するために有効な「インターセクショナリティ」の視点から、特に慢性疾患や難病を抱える人々が直面する貧困について掘り下げて解説いたします。
インターセクショナリティとは何か?
まず、「インターセクショナリティ」という言葉を改めて確認しておきましょう。これは、性別、人種、階級、性的指向、障害、年齢、疾患など、異なる属性やアイデンティティが交差することによって、特定の個人や集団が経験する差別や抑圧が複合的に強化される構造を理解するための概念です。
つまり、ある人が例えば女性であることによる困難と、非正規雇用であることによる困難をそれぞれ単独で捉えるのではなく、女性かつ非正規雇用であるという二つの要素が交差することで、さらに深刻な雇用差別や経済的脆弱性に直面する可能性がある、といった見方をするということです。
この視点は、貧困問題においても非常に重要です。貧困は単に収入が低いという経済的な状態だけでなく、教育、健康、住居、社会との繋がりなど、様々な側面が複合的に絡み合って生じる現象だからです。そして、そこに個人の持つ多様な属性や状況(年齢、性別、家族構成、健康状態、居住地域など)が加わることで、貧困の様相はさらに複雑化し、その困難は一層深刻になります。
慢性疾患・難病患者が直面する、病気だけではない困難
慢性的な病気や難病を抱える人々は、病気そのものによる身体的・精神的な苦痛や不安に加えて、実に多様な困難に直面します。これらの困難は、病状や治療内容によって異なりますが、多くの場合、生活全般に影響を及ぼします。
具体的には、以下のようなものが挙げられます。
- 経済的負担:
- 継続的な医療費(診察費、薬代、検査費用)
- 高額な治療法や先進医療にかかる費用
- 通院のための交通費や付き添いの費用
- 病状悪化に伴う入院費用
- バリアフリー化や特別な器具、介護用品などの購入費用
- 就労への影響:
- 病状や治療による体力低下や倦怠感
- 頻繁な通院や検査、入院が必要なため、仕事の継続が難しい
- 病気に対する企業や社会の理解不足による就職・復職の困難
- 病状に合わせて働ける場所や時間が見つけにくい
- 病気を理由とした不当な配置転換や解雇リスク
- ケア負担:
- 本人自身が日常生活で介助や医療的ケアを必要とする
- 家族がケアラーとなり、自身の就労や生活に影響が出る
- 専門的なケアが必要な場合、その費用やサービスへのアクセスが困難
- 社会的な孤立:
- 病気や体調不良により外出が億劫になり、友人や地域との交流が減る
- 病気に対する周囲の偏見やスティグマ
- 病気について気軽に相談できる相手がいない
- 病状が不安定なため、予定が立てにくく、社会活動への参加が難しい
- 情報・制度へのアクセス困難:
- 自身の病気や利用できる公的支援制度(医療費助成、障害年金、手当、介護保険など)に関する情報を得るのが難しい
- 申請手続きが複雑で、病状や体調によっては一人で行うのが困難
- 必要な情報やサービスが居住地域にない
慢性疾患・難病と貧困:インターセクショナリティによる複合的困難
これらの困難は、単独でも生活を圧迫する可能性がありますが、個人の持つ他の属性や状況と「交差」することで、貧困という形で複合的に現れ、その深刻さを増します。ここでインターセクショナリティの視点が活かされます。
いくつかの具体的な事例を考えてみましょう。
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事例1:地方に住む高齢単身女性が慢性疾患を患った場合 「高齢」であることによる体力や就労機会の限界、「単身」であることによるケアや経済的な支えの不足、「女性」であることによる過去の低賃金・非正規雇用経験(年金額の少なさ)、「地方」であることによる医療機関や公的支援窓口へのアクセスの悪さ、そして「慢性疾患」による医療費負担や体調不良が重なります。結果として、わずかな年金収入だけでは医療費や生活費を賄えず、頼れる家族もいないため、深刻な経済的困窮と孤立に追い込まれるリスクが非常に高くなります。それぞれの困難が単独で存在するよりも、はるかに深刻な状況が生まれます。
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事例2:幼い子どもを持つ非正規雇用の親が難病を患った場合 「子育て」の責任(時間的制約、費用)、「非正規雇用」による不安定な収入と社会保障の不足、「親である」ことによる自身よりも子どものケアを優先してしまう傾向、そして「難病」によるいつ病状が悪化するか分からない不安や高額な医療費、頻繁な通院が重なります。特にシングルペアレントの場合、これらの困難は一層過酷になります。収入は不安定で、治療のために仕事を休むことも難しく、病気のために子どものケアが十分できないことへの罪悪感も抱えるかもしれません。制度を利用しようにも、手続きの複雑さや平日の役所窓口に行く時間がないといった困難も生じます。病気、働き方、家族構成、経済状況といった複数の要素が交差することで、貧困は加速し、家族全体が脆弱な状況に置かれます。
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事例3:都市部に住む若年者が特定の慢性疾患を抱え、特定の技能を持たない場合 「若年者」であることによる経験やスキルの不足、「都市部」であることによる生活コストの高さ、「特定の技能を持たない」ことによる競争の激しい労働市場での不利、そして「慢性疾患」による体力的な制限や病気への偏見が重なります。病気のために希望する職種に就けず、あるいは病状が悪化して退職せざるを得なくなり、不安定なアルバイトなどで食いつなぐことになります。友人との交流も病気のために制限され、社会から取り残されているような感覚に陥ることもあります。経済的な困窮はメンタルヘルスにも影響し、状況をさらに悪化させる可能性があります。
これらの事例が示すように、慢性疾患や難病がもたらす困難は、個人の置かれた状況(年齢、性別、家族構成、居住地、雇用形態、教育水準など)と複雑に絡み合い、一人ひとりの経験する「貧困」の形を大きく左右します。
NPO活動におけるインターセクショナリティの視点の重要性
貧困支援の現場で、このインターセクショナリティの視点を持つことは、支援の質を高める上で不可欠です。
- 「なぜこの人はこんなにも困難を抱えているのだろう?」という疑問の解消: 単一の病気や経済状況だけを見ていても、対象者の置かれている複雑な状況は見えてきません。複数の要因がどのように絡み合っているのかを理解することで、表面的な問題だけでなく、その根源にある構造的な課題を捉えることができます。
- 包括的な支援計画の立案: 病気への対応だけでなく、経済的な支援、就労支援、住居支援、ケアサービスの紹介、社会との繋がりを回復させるための支援など、複数の側面からのアプローチが必要であることを認識できます。
- 他機関との連携の促進: 医療機関、福祉事務所、ハローワーク、地域の支援団体など、様々な専門機関との連携が不可欠であることを理解し、対象者が必要とする多様なサービスに繋げるためのハブとしての役割を果たすことができます。
- スティグマや偏見への対応: 対象者が抱える困難が、病気や特定の属性による個人の問題ではなく、社会構造や複数の差別が交差した結果であることを理解することで、支援者自身の無意識の偏見に気づき、対象者が直面するスティグマに対してより適切に対応できます。
- 支援対象者自身のエンパワメント: 支援対象者が自身の困難を単一の原因や自身の責任として捉えがちな場合、それが複数の要因が絡み合った構造的な問題であることを伝えることで、自己肯定感を保ち、必要な支援を受けることへの動機付けに繋がる可能性があります。
この視点を他者に伝えるヒント
インターセクショナリティという言葉自体が難しく感じられる場合でも、この考え方を他者に伝えることは可能です。
- 具体的な「物語」で語る: 上記のような具体的な事例を用いて、「例えば、〇〇という病気の方が、同時に△△という状況にもあって、それが重なることで、単に病気だけの人よりも、もっと大変な状況になってしまうことがあるんです」というように、物語形式で説明すると理解されやすいです。
- 「重なり合って」「複雑に絡み合って」といった言葉を使う: 「病気と貧困が重なって」「健康問題と雇用問題と家族の状況が複雑に絡み合って」など、具体的な状況が複数関連していることを示す言葉を使います。
- 「もし自分だったら?」と問いかける: 「もし自分がこの病気にかかって、さらに一人暮らしで、頼れる人もいなかったら、どんなことが起こるだろう?」のように、聞き手自身の経験や想像力を刺激する問いかけも有効です。
- 「単一の解決策では難しい」ことを強調する: 「この方の困難は一つではないので、一つの支援だけでは解決が難しく、様々な角度からの支援が必要になります」と伝えることで、問題の複雑さを理解してもらえます。
まとめ
慢性疾患や難病を抱える人々が直面する貧困は、単に病気による経済的な問題だけでなく、年齢、性別、家族構成、居住地、雇用形態、社会との繋がりなど、多様な属性や状況が複雑に交差することによって生じる複合的な困難です。
インターセクショナリティの視点を持つことは、これらの重なり合う困難の構造を理解し、一人ひとりの支援対象者が置かれている状況をより深く把握するために不可欠です。この視点に基づいた支援は、表層的な問題解決に留まらず、対象者の尊厳を守り、より包括的で実効性のあるサポートを提供することに繋がります。
現場での活動において、目の前の人の困難がどのような要素の交差によって生じているのか、常に問い続けていくことが、支援の質を高める第一歩となるでしょう。