制度利用困難が深める貧困:手続きの複雑さ、情報不足、健康問題…インターセクショナリティの視点
制度利用の壁と貧困の構造
貧困問題への支援に携わる中で、生活を立て直すための様々な公的支援制度や社会保障制度があるにも関わらず、それらを必要とする人々がうまく利用できていない現状に直面することは少なくありません。制度を知っていても申請できない、手続きが難しすぎる、必要な情報が手に入らないなど、その理由は多岐にわたります。
こうした「制度利用の困難」は、単に個人の努力不足や情報収集能力の欠如だけによるものではありません。多くの場合、その人の置かれている複数の状況や属性が複雑に絡み合い、制度へのアクセスを妨げる「壁」を高くしています。この構造を理解するために、「インターセクショナリティ」の視点が重要になります。
インターセクショナリティとは何か:制度利用の困難における交差
インターセクショナリティとは、人種、性別、階級、性的指向、障害、年齢、健康状態など、様々な社会的属性が交差することで生じる、重層的で複合的な差別や不利を理解するための概念です。
制度利用の困難においても、このインターセクショナリティが顕著に現れます。例えば、公的な支援制度を利用しようとする際に、以下のような属性や状況がどのように交差して困難を生むかを考えてみましょう。
- 年齢: 高齢であることと、デジタルデバイスの操作が苦手であること、移動が困難であること、健康上の不安があることなどが重なる。
- 健康状態・障害: 慢性疾患や精神疾患を抱えていること、障害があることと、複雑な書類を読み解くこと、長時間待つこと、窓口で自分の状況を説明することなどが困難であること。
- 教育歴・情報リテラシー: 制度や手続きに関する情報を正確に理解する能力が低いことと、インターネットやスマートフォンを持たない・使えないこと、専門用語が理解できないこと。
- 言語・文化: 外国籍であること、日本語でのコミュニケーションに自信がないことと、日本の行政システムに不慣れであること、母国の文化との違いに戸惑うこと。
- 家族構成・孤立: 一人暮らしであること、頼れる家族や友人がいないことと、申請書類の準備を手伝ってくれる人がいないこと、手続きに同行してくれる人がいないこと。
- 居住地域: 公共交通機関が少ない地域に住んでいることと、役所まで行くのに時間や費用がかかること、地域の情報が手に入りにくいこと。
これらの要素はそれぞれが単独で困難をもたらすだけでなく、互いに影響し合い、制度利用の壁をより強固なものにします。例えば、「高齢である」「一人暮らしである」「健康に不安がある」「インターネットを使えない」という複数の状況が重なることで、制度の情報自体にたどり着くのが難しくなり、仮に情報を見つけても、複雑な手続きを一人で行うことが極めて困難になる、といった具合です。
具体的な事例に見る制度利用困難の構造
具体的な事例を通して、インターセクショナリティが制度利用困難とどのように関連するかを見ていきましょう。
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事例1:体調を崩した高齢単身女性 年金収入だけでは生活が厳しく、持病が悪化して医療費がかさむようになった高齢の女性がいます。区役所に相談に行きたいのですが、体調が悪く長時間の外出は困難です。また、インターネットも使い慣れていません。娘は遠方に住んでおり、頻繁に頼ることはできません。この女性は、「高齢であること」「単身であること」「健康問題」「デジタルデバイド」「家族からのサポートが限定的」といった複数の要因が重なり、生活保護や医療費助成、介護保険サービスなどの複雑な制度について調べたり、申請のために何度も窓口に通ったりすること自体が大きな負担となり、必要な支援に繋がれないリスクが高まります。
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事例2:母子家庭の非正規雇用女性 幼い子どもを育てながら非正規雇用で働く母親がいます。収入が不安定で生活は苦しいですが、仕事と育児に追われ、行政窓口の開いている時間に行くことが難しい状況です。また、ひとり親向けの支援制度があることは知っていても、どのような書類が必要か、どこに相談すれば良いかなどが分かりにくく、多忙な中で複雑な手続きを調べる時間もありません。この母親は、「女性であること」「ひとり親であること」「非正規雇用」「子育て中の時間的制約」「情報収集・手続きへの物理的・精神的負担」といった要因が重なり、児童扶養手当や就学援助など、本来受けられるはずの支援にたどり着けない可能性があります。
これらの事例は、制度そのものが悪いのではなく、制度への「アクセス」段階で、人々の持つ複数の属性が障壁となることを示しています。そして、このような壁があるために、本来セーフティネットとして機能すべき制度が、最も必要としている人々から遠いものになってしまうのです。
貧困の固定化・悪化を防ぐために
制度利用の困難は、単に機会損失であるだけでなく、貧困状態を固定化・悪化させる深刻な問題です。必要な支援を受けられないことで、健康状態がさらに悪化したり、子どもの教育機会が失われたり、借金が増えたりするなど、負のスパイラルに陥る可能性があります。
この構造に対処するためには、インターセクショナリティの視点を持つことが不可欠です。支援の現場では、支援対象者が抱える困難が、経済的な問題だけでなく、年齢、性別、健康、教育、孤立など、様々な要因がどのように絡み合って生じているのかを丁寧に紐解く必要があります。
NPO活動への示唆と他者への説明のヒント
貧困問題に取り組むNPOにとって、インターセクショナリティの視点は、支援の質を高める上で非常に重要です。
- 支援のアプローチ: 単に制度情報を提供するだけでなく、支援対象者の属性や状況(身体状況、情報リテラシー、家族のサポート状況など)を考慮し、手続きの代行や同行、必要な書類の準備支援、分かりやすい言葉での説明、関係機関との連携など、個別のニーズに合わせたきめ細やかな「伴走支援」の重要性が増します。
- 政策提言: 制度そのものの周知だけでなく、手続きの簡素化、申請方法の多様化(オンラインだけでなく、郵送、電話、訪問など)、多言語対応、バリアフリーな窓口対応など、制度へのアクセスにおける障壁を取り除くための政策提言を行う際の根拠となります。
また、この概念を他の支援者や関係者、あるいは一般の人々に説明する際には、抽象的な議論に終始せず、具体的な事例から入るのが効果的です。「制度はあるのに、なぜか利用できない人がいる。それは、その人の年齢や健康、家族状況などがいくつも重なって、手続きの壁が高くなっているからなんです」といったように、身近な困難と結びつけて説明することで、理解を深めることができます。そして、これは特定の誰かの問題ではなく、制度の「アクセス可能性」という構造的な課題であること、セーフティネットからこぼれ落ちる人々を見過ごさないために、この視点が必要であることを伝えると良いでしょう。
まとめ
公的な支援制度へのアクセス困難は、表面的な情報不足の裏に、年齢、健康、教育、孤立など、多様な属性の交差によって生じる複合的な困難が潜んでいます。インターセクショナリティの視点を持つことで、これらの見えにくい壁の存在を認識し、貧困の固定化を防ぐための、より実効性のある支援や制度改善に繋げることが可能になります。この視点は、貧困支援の現場において、支援対象者一人ひとりの状況を深く理解し、必要なサポートを届けるための重要な鍵となるでしょう。